玉屋と鍵屋

玉屋と鍵屋とは

玉屋と鍵屋って花火の時によく聞くけど、何?という方に簡単に説明をしたいと思います。

鍵屋

大名の贅沢であった花火が町人文化として普及したのは、江戸時代になってからでした。大和の国(今の奈良県)から弥兵衛という人が江戸の町でおもちゃ花火を販売した。その花火が人気を博し、花火屋「鍵屋」としての歴史が始まりました。現在も代々引き継がれています。

玉屋

鍵屋八代目の頃、番頭の清七という人に暖簾(のれん)分けをし、清七が【玉屋】の屋号で花火屋を始めました。隅田川の川開きの際に、両国橋を挟んで上流を玉屋、下流を鍵屋が受け持ち見物客の「たまや」「かぎや」の歓声とともに花火の美しさを競い合いました。しかし玉屋は天保14年(1843年)に失火で街を半町程類焼させてしまい、江戸を追放されてしまい、断絶しました。